大学の掲示板を見に行った時、学業にあまり熱心でなかった僕はまずは休講の張り紙を探す。見つけた瞬間心の中で小さくガッツポーズ、公然と授業が休めるのは不謹慎ながら「得した」気分であった。大学の授業は大抵は90分、2コマ続きだったりすると、3時間も自由時間健康飲食習慣が降ってくるわけである。

友人の前では

「この教授は休講が多い、けしからんな」

などと嘯きつつ、心の中では(さて何しようかな)とウキウキ気分に浸るのである。

さしてすることもないのだが、この降って湧いたような公然の自由時間というのは社会人になるとなかなか体験できないもので、強いて挙げれば台風が上陸する日に「今日は定時前に帰って良し!」などという指令が出た時くらいだろうか。

高校時代に遡ると、先生が休みになると「自習」ということになる。大学と違って外へ出ることが出来ないので「ウキウキ感」はさほどでもないが、それでも教室には「やったー」という歓声が上がる。

僕の通っていたのはとある都立高校で、当時の都立高校は本当にいい加減欣賞自己だった。僕の高校には掃除当番が無く、一学期に一度、学期末の大掃除にしか掃除をしなかった(これ、信じられないでしょうが本当です)ので教室は埃だらけゴミだらけであった。

雨が降ると必ず休む地学の先生がいた。

「今日は大雨だぞ」
「地学は自習だな」

などと話しているとほぼ9割方その通りになる。

進路指導などというものは皆無に等しく、僕が大学に合格した際、一応担任の先生には報告しておくかと思い数学の教官室に出かけた際も。

「先生、大学合格しました」

するとこの担任のS先生、椅子に座ったままやおら振り向くと、一言。

「あ、そう」

とのたまった。

もちろん中 には熱心な先生もいた事はいたのだが、僕の教わった先生たちは典型的な「でもしか先生」ばかりであった。