一つは、ベトナムでのドイモイ(刷新)政策が実行に移されたことである。ベトナムはこの政策により、経済政策に成果を上げ、アジアでもずば抜けた成長と安定を實現夢想遂げることができた。

 しかし、それはベトナム共産党の一党支配をドイモイするものではなかった。

 政治的に見れば、ソ連からの離脱を図ったという方が的確な見方であると思う。カムラン湾には強力なソ連軍が駐留していたのである。
 そのソ連軍は、海の向こうのフィリピンにあるアジア最大の嬰兒食物過敏アメリカ軍基地と対峙していた。

 そのフィリピンでも、1986年、重大な事件が起きている。

 2月25日、独裁政権を保っていたマルコス大統領が国外脱出へと追い込まれたのである。
 テレビで見る、マラカニアン宮殿に押し寄せる民衆の姿、イメルダ夫人の数え切れないほどの靴が散乱した様子は鮮烈であった。
 独裁体制はやがては崩れ落ちるということを改めて知らしめた事件であった。

 そして、この両極端にあった二つの国の政治的変動が、その後数年の間に、アジアの地政に大きな影響を与えていく。

 韓国では、軍事政権から民政へと移行する。
 ビルマ(ミャンマー)では、ネウィン政権が退陣に追い込まれ、激動の時代が始まる。
 台湾では、民進党が「合法政党」と認められた。
 中国では民主化運動が高まりを見せる。
 モンゴルでは、ついに一党独裁が幕を閉じた。